何も書くことが出来ないということについて書くということ

 つい最近まで簡単に出来たことはずのことがまったく出来なくなった。

 一言で表すなら、「書けない」。たとえば自分は今ここまで書かれた文章についてすべてが駄目で唾棄されるべきだと思うし、タイトルに関しても何から何までが何がなんだかわからないゴミ要素でしか成り立っていないと思うし、これからの文章も駄文になります。どうぞよろしくお願いします。

 書くことによって前に進むことが出来なくなったというか、まるで危ない綱渡りでもしているみたいで、足がすくんで一歩も前進できない。文章を思い浮かべようとすると心が苦しくなる。なぜかこれから先の自らの生存が危ういとさえ感じる。ジャングルにいる訳でもあるまいに。じりじりとして、そのうち後ろ向きに進んでいるのではないかと思えてきて、もういいやって考えるのをやめる。

 これは冗談じゃないし、笑い話でもない。冗談なら冗談だとどうか言ってほしい。

 控えめに言って、かなり苦痛だ。これが「お前は両脚をもがれたんだよ」とか「両手を持っていかれたんだよ」とかならまだわかる。そのことによって「以前のように自由に歩き回れなくなってしまった」とか「細かいお裁縫が出来なくなった」とかならまだわかる。

 しかし、「書く」だぞ?

 たかが書くことである。しかし、されど書くことなのだなと感じる。

 わたしは書くにあたって必要だった「大切な何か」を失ってしまったのだなと感じる。

 しかしその正体が何であるのか、はっきりと断言することができない。「しまった、歩けなくなっちまったよ」「それはおめえ、脚が失くなってんだ」「合点承知、それじゃあ義足をつけるぜ」「おう、見た目は元通りだ」みたいなことができない。

 なぜなのか。その答えは明快である。〈それ〉は目に見えないものだからだ。しかし肝心な〈それ〉の正体がわからない。精神力か、あるいはやる気か。書くことを歩くことになぞらえて、わたしが失ったものの正体を『文学的脚部』と表現することも出来る。ならば〈それ〉を失ったわたしは文学的義足をつけなければなるまい。

 しかし、どうやって?

 もしくは文学的義足がだめなら、手を使って移動することも出来る。日本に語り継がれる怪談に『てけてけ』というものがある。上半身だけで腕力を使って手を脚のようにシャカシャカと動かして猛然と突き進んでくるのが『てけてけ』である。ならば『文学的てけてけ』になる他あるまい。脚をもがれても猛然と書きまくるんだよ。

 ほらな、こうしてまた意味のわからない文章が作り出される。わたしはもうだめだ。額には脂汗がにじみ、呼吸が苦しくなってくる。何よりも吐き気がものすごい。ただ書いているだけなのに、これでもかと精神が圧迫される。そろそろ本当に命にかかわってくるので書くことをやめる。これは比喩じゃないし、何も大げさには言っていない。本当はまだ書きたい。

 

 この文章は、血の滲むような苦痛の末に生み出されました。