書きたいこと

書きたいこと?

そもそも書きたいことなんてあったっけ?

敬語はやめました。っていう敬語を書きました。トートロジーはただ文章を繰り返しているということを語っているのではない。すべてあなたの認識不足だ。ざんねんながら。すべてざんねんです。こちら砂漠のラクダのラクダイくんです。

きみには悪いけれど、世界のだいたいのことに意味はない。わたしには悪いけれど、世界のだいたいのことに意味はない。意味はないと思えば意味はなくなるし、意味があると思えば意味はできあがる。自ら明らかに自明なことだ。この世に生まれてきた意味なんてない。生きていることに意味なんてない。そんなの生まれ落ちたときからわかっていたことでしょ。

だからこそ、何かを為したいなんて願うんだろう。意味がないとしたら、自分で作り出すしかないし、世界はそうなっているんだろう。だから書こうとするし描こうとするし、加工もするし今これを読んでいるし書いているんだろう。

単なる暇つぶしだって言うかもしれない。でも暇つぶしだって十全たる理由だから、それが理由になったら御の字だろう。意味を付与すること、理由付けを行うこと、それは君の持って生まれてきた特権だし、わたしの特権だ。

ある種の解釈では、これは義務めいてもくる。ありがとう、こんにちは、やあおはよう、おつかれさま、さようなら。ただ言われたって、うれしくなんかないだろう。だから言われた自分がうれしくなるように、加工を施すんだろう。

正当化って言われるかもしれない。そんなことを言われたら、かなしくなるのかたのしくなるのかうれしくなるのかそれとも怒るのか、それはまったくわたしたちの自由だ。「ねえほら、きみ、それは完全なる正当化だよ」と言われて、そこにどのような意味を与えるのかはまったくわたしたちの自由だ。かなしくなったっていいし、たのしくなったっていいし、うれしくなったっていいし、でも怒ることはあまりおすすめしないよ疲れるからね。

どうして書きたいだなんて思っていたんでしたっけ。敬語はもうやめました。どうして生きていたいだなんて思っていたんだっけ。気球は勝手に飛んでいくよな。いったい何時頃、たのしいっていう気持ちを忘れてしまったんですか。どうして「どうして」だんなんて考えるようになってしまったんですか。今もまだしあわせですか。「どうして歩いていたんだっけ」なんて考えながら立ち止まっていることは楽しいですか。

「どうして立ち止まっているんだっけ」なんて考えないで歩けよ。いいから歩くんだよ。それがわたしたちの責務だ。「どうして歩いていたんだっけ」なんて長いこと考えていたから立ち止まっているんだよ。最初っから意味なんてなかったよ。

いいから歩くんだよ。書くんだよ。それだけだよ。