さばのみそに

案外、自分はにんげんの話を聞いているのが好きらしいことを知りました。

ところで、リップクリームとスティックのりを並べて置くことほど危険な行為はないと先ほどわかりました。唇にスティックのりを塗ると、まったく会話をすることができなくなってしまいます。もしあなたの家に口うるさいオカン・姉妹・お嫁さまがいるなら、ぜひとも試してみてほしい方法です。化粧ポーチを無断で開けてスティックのりを忍ばせておくのもアリだと思います。もろもろがんばってください。

近ごろ鼻がやたらとつまります。しかもなんだか、夜が更けてくるとそうなることが多いです。そういう体質みたいです。別にいいのですが、これの困るポイントは、歯磨きをシャカシャカしているときにまったく呼吸ができなくなるので、少しつらくなるみたいなところがあるところです。顔面に配置されたメインの穴たちが塞がれてしまいますので、空気の出るところ入るところがなくなってしまいます。皮膚呼吸で乗り切っています。

今日のごはんは「焼いた鶏肉とバジルがふんだんに使われたトマトのスパゲッティ」でした。鯖の味噌煮ではないです。ここでタイトルを回収したので、あとの文章は私の気の赴くまま、適当に進めさせていただきます。

とはいえ、あまり話をすることがありません。案外、私は自分自身が書くことよりも、他のにんげんの書いた文章を読んでいるほうが好きらしいことを知りました。それはひとつ大きな収穫でもあったのですが、書くことが好きな私は、少しかなしい気持ちにもなりました。これは少し矛盾っぽくもありますが、矛盾ではないです。若干ですが盾のほうが強いので、矛がギリギリで負けます。そういうことです。

しかし、かなしんでいたってしょうがないので、私はこれを書いています。たぶんこの世界には、私みたいなのと同じように、他のにんげんの書いた文章を読むのが好きなにんげんというのがいるのだろうと信じるからです。

一種の、気休めみたいなものです。とか言いつつ、しばらく、十数分ほど「気休めみたいなもの」の一例について考えてみたのですが、まったく思いつきませんでした。無能であることはこわいですが、自らの無能さに気付いていないこともこわいと思います。念のため付け加えておくと、私は自分が無能であると指摘しているわけではありません。また、自らの無能さに気が付いていないというわけでもないです。

とまあ、こんなふうに、読んでいる人を煙に巻くような、ふわっとした文章を書く能力があるし、得意みたいなところがあります。だからあながち無能でもないみたいです。

最後にひとつだけ言っておきたいことがあるのですが、にんげんって、つらくても苦しくても、生きていればなんかぽつぽつと良いことが起こるみたいです。でも、やっぱり、そのあたりの均衡を保つことがいちばん難しいというか、最難関というか、それが人生みたいなところがあります。

当然のように、放っておけばつらさの総和のほうが勝ってしまうと思うのですが、そこをどう力技で乗り切っていくのかみたいな話です。刻苦勉励して金を集めてあとは物理で殴るみたいなこともできますし、そのへんに落ちているものを拾ったりとか、あとは自分から遠くに出向いて採りに行くとか、そういうこともできます。山菜摘みとか、雉狩りみたいな感じです。割りかし自由度が高いので、他人が所有しているしあわせを奪ったりすることもできます。でもそういうことをすると、最終的には不幸になる気がします。奪い合ったり争ったりは、たとえかわいい女の子たちがキャッキャしていてもドロドロ醜い感じになるので、仲良くシェアしてください。

幸福のオープンソース化はいつになったら為されるのかと考えますが、なかなか難しいのでしょうなとか思います。「幸福」という言葉だけで胡散臭さを感じるようになってしまったのは、たぶん科学を標榜する某宗教団体のせいだと思います。こういうふうに、何かしらの概念に向かってつらみを投げつけるのもアリだと思います。個人とかの小さい単位ではなく、なるべく器が大きそうで食らってもダメージが無さそうなものに向かって投げつけるのがコツです。

私はつらい気持ちになると、しきりに「てーきあつのせいだ! てーきあつのせいだ!」と叫び出しますが、けっして気が狂ったわけではありません。そういう処世術です。「つらい気持ちになるのは低気圧のせいなのだ」と思い込むことによって、今日もなんとか生きながらえているみたいなところがあります。ちなみに日本列島が高気圧の覆われている日につらくなったらもうどうしようもないので寝ています。

そろそろ長くなってきたので、書くのをやめます。

以上、さばのみそにでした。